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その一方で,日本全体がG7サミットや東京オリンピックでなんとなくはしゃいでいる.
これは,そんな雰囲気の中で生きている人々に衝撃を与える小説である.
福島第一の4基の原発が全て本格的に爆発し,大量の放射性物質が放出され東京を含む東日本全体が汚染されてしまった状況想定されている.
その中で被爆した幼児の「バラカ(薔薇香)」の8年間を中心に,周囲の人間の生き様が描かれている.
人間の根底にある悪魔的な部分,卑しい部分が,原発事故により露わになっていくところが良く描かれていて,読み進むにつれ言って気分が悪くなる.ただ,さもありなんとも思うのである.
原発推進派や反対派の思惑や,それに翻弄される人々,政府の対応,被害者同士の対立などなどおぞましい話が次々に展開されている.
ここで展開されているのは小説という舞台のことではあるが,現実も一枚表面の皮を剥がすと,その下からこれと似たようなことが出てくるかもしれないと思わされ,心穏やかならざる読後感を持たされる本である.
読後,先日聞いた,小出氏の講演での質問者に対する回答を思い出した.
「電気に恩恵を被って生活している我々は原発には反対できないのではないか?」というよくある疑問に小出氏はどう答えるかという質問.
小出氏の回答:この疑問にはどう答えてよいかわ分からないと断った上で,「自分の受益や便宜さのために他者を犠牲にしてはならない」というのが原則ではないだろうか.
益川敏英,2015, 科学者は戦争で何をしたか.集英社新書, 183pp.(ISBN978-4-08-720799-6)
[1940生75歳]★★★★★
今,大学は大きく変わろうとしている.18歳人口の減少,大学の増加にともなう学生の学力が低下などに対応して大学が変わらなければならないという状況は確かにある.しかし,今進んでいる改革は,もっと本質的な大学や学問のあり方にかかわる重要かつ危険なものと思われる.
本書では,マンハッタン計画による原発の開発やジェーソン機関でのベトナム戦争への科学者の積極的な協力などについて紹介され,科学や科学者が潤沢な研究費やポジションを求めて陥る危険な側面について論じられている.ノーベル賞級の優秀な科学者ですら,それを免れないという.
近年,科学の世界では,「選択と集中」のもとに資金を特定の儲かりそうな分野にピンポイントで投入していく傾向が強くなっている.日本もその例外ではない.そのためSTAP細胞問題などの不正行為が続出する.この延長線上に軍学共同研究があり,日本でもその動きが出ている.こんな中で阿倍政権の暴走が起こっており,日本が再び戦争に巻き込まれていく危険性は大きい.大学も危険な方向に進んでいく可能性は大きくなっているという.
本書の最終結論は,今こそ科学者は「科学者である前に人間たれ」の精神に戻らなければならないということである.言い換えれば,科学者も生活者としての目線を忘れてはならないということになる.
政治の世界や大学で現在起こりつつある危険な状況に多くの人々は気づいている.一方,周りの空気を読んで発言を控える人が多いのも事実である.言うべきときに言うべきことをいわないでぼけっとしていると,取り返しのつかないことになるぞというのも著者の主張であろう.
村上達也・神保哲生, 2013, 東海村・村長の「脱原発」論.集英社新書,217pp.(ISBN978-4-08-720702-6)
村上元東海村村長による脱原発論である.これを読みながら2011年3.11の震災のことを思い出していた.福島第一原発のメルトダウン直後に,水戸から家族を関西に避難させた知り合いがいた.その時には少し大げさでは無いかと思った.
ところが,この本を読むと東海第二原発も「フクシマ」寸前だったと言う.それを免れたのは,単に偶然であったに過ぎなかった.もし,東海第二原発で「フクシマ」が起こっていれば,水戸は東海村から10数キロであるから,即避難しなければならなかった.即家族を避難させた知人は,正しい判断をしていたことになる.
ところで,村上元村長が,この事実を知らされたのは半年後であったとのこと.これは恐ろしいことである.この本を読んでゾッとした.原発震災以降,市民の科学者・技術者や政治家に対する信頼度が落ちるのはこんな所からも原因がある.
1999年のJOC臨界事故で,事故への対応について学んだはずであったのに,2011年にはそれがほとんど生かされなかったと指摘されている.
原発震災といった深刻な問題ですら,時間と共に風化がはじまっている.
これからの日本の原発問題,エネルギー問題を考える上でも,必読の書である.
増田寛也編著:地方消滅−東京一局集中が招く人工急減−.中公新書2282, 243pp.ISBN978-4-12-102282-0
大学生協書籍部で新書・文庫ベストセラーになっていたのを見て購入した.衝撃的な表題にひかれたこともある.帯には「896の市町村が消える前に何をなすべきか」とある.
2010年の国勢調査による全国の人口分布を基準にして2090年までの人口の推移をシュミレーションし,その結果をもとに将来予測したものである.巻末に全国市町村別の状来推計人口の一覧が載せられているのが特徴である.ここには2040年における,各市町村の総人口と若年女性(20〜39歳)の推計値がのせられている.
日本全体としての推移の特徴は,総数は一定の割合で減少し,2040年には2010年の人口の45パーセントになる.一方,2040年までは65歳以上の人口は,131パーセントまで増加するが,その後減少を開始し,最終的に80パーセントになる.2040年以降は若年人口のみならず老年人口も減ることになる.本格的な人口減少開始の時期が2040年と指摘している.
人口減少による地域の落ち込みを避けるためには,2040年までには何らかの手がうたれなければ,破滅への道を歩むことになるという衝撃的な指摘がなされている.
茨城県を見ると,県北地域を中心として深刻な状況になる.茨城県では,県北地域の振興が重要な課題であることは,多くの人々に認識され,様々な手が打たれはじめているが,必ずしも有効な手段が見つかっていないように思う.本書を読んで,今こそ真剣に考えなければならない時期であることを強く感じた.地域振興を考える人に一読をすすめる.
最近,昔読んだ本を再読するセンチメンタルジャー,ニー読書を時々する.年末に伊豆の温泉宿で,閑にまかせて芥川の「江南の扇」を読み直した.
高校時代読んだものの中で,気持ちのどこかに引っかかったものの一つに「江南の扇」がある.断首された土匪の血をしみこませたビスケットを,その土匪のもと情婦に食べさせるというややグロテスクな内容の小説である.きめが,その情婦の同僚がもと情婦がビスケットを食べようとする時に,主人公の手を力を込めて握るというところ.
高校時代,この部分に同意しつつもやや違和感を覚えた記憶が残っていて,気になっていた.芥川の小説の中では,「ひょっとこ」,「手巾」が同じ同じおちになっている.
これは観念論だというのが,現在の自分の結論である.芥川の小説のいくつかが観念論的なことをかなり前から感じてきていた.歳をとると,芸術に対する感覚も変わってくる.今回,ウィキベディアで芥川が自殺する直前に秘書と心中未遂をしていることを知り,人間芥川を知ることができたような気がする.歳と共に,私自身の価値観も変わっているのだと思う一つの出来事であった.これからは,芥川はもう読まないと思う.
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☆東京大学空間情報科学研究センター・客員研究員
☆日本大学文理学部自然科学研究所・上席研究員
☆一般社団法人日本地質学会理事,ジオパーク支援委員会・委員長,
技術者教育委員会・委員長
☆茨城県北ジオパーク推進協議会顧問