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市民地質学者が地球に関連した話題を中心として様々な話題を提供するブログです.
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TIMEの9月1日号のカバーストーリーは福島第一原発の記事。
表紙の「HOW THE FUKUSHIMA CATASTROPHE HAS REVEALED THE CRACS IN JAPANESE SOCIETY」は鋭い指摘だと思う。
福島第一原発については,安定状態とはほど遠いという内容の記事である。
にも関わらず,どうして東京オリンピックなのかという問いかけも厳しい。

太田昌克:日米〈核〉同盟−原爆,核の傘,フクシマ(岩波新書)も併せて読むと,日本が現在おかれている状況が見えてきてゾッとする。
原発を続けるにしてもやめるにしても,使用済み核燃料再処理という重大な問題がある。
そして,再処理を軸とした軽水炉サイクル事業は,簡単にはやめられないという。
それは「かっぱえびせん」のように「やめられない,とまらない」というのである。
このような事実は,国民一人一人が知っていなければならないことだと思う。

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『ヘロドトスによると,ペルシアの大王クセルクセスは,雲霞(うんか)のような大軍をながめながら涙した。百年後には,この全軍のだれ一人として生き残ってはいまいと思ったからである。分厚い図書目録をながめながら泣きたい気持に襲われない者がいるだろうか。だれでも,十年たてば,この中の一冊も生き残ってはいまいという思いにうたれるはずである。』(ショウペンハウエル:読書について;斎藤忍随訳)


この「図書」を「論文」に変えると,私が最近時々感じている気持ちになる。
雲霞の一匹である私のような凡庸なものでも,こんな気持ちになるのである。
他人のことはさておくとしても,自分自身はクズやカスを作り続けていたのかもしれないと思ったりするのである。

ついでながら,こんな記述もある。
なかなか痛い。

『地層は太古の生物を順序正しく,分類的に保存している。図書館の書架も,順序正しく過去の誤った説を分類的に保存している。このような説も太古の生物のように,昔ははなはだ活発に動き,大騒動をまき起こしていた。しかし今では硬直して石と化し,わずかに文献学者という古生物学者が目を向けるにすぎない。』(同上)

それにしても,100数十年前に書かれた本を,今頃になって読んで感心している私は,つくづく凡庸であるなあ・・・・

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最近,教育改革の議論の中では,英語教育がやり玉に挙げられることが多い.
使える英語を身につけるために,高校・大学においても TOEICを全面的に導入するなど,かなり思い切った提案がなされ,一部では実施されつつある.
英語教育が重要であることに異論はないが,何か違和感を感じるのである.

コミニュケーション力を付けるために,聞く,話す,書く能力を強化しなければならないとのこと.
東京オリンピックに外国人が沢山日本にくることまで引き合いに出されている!

違和感の原因は,一連の議論の中で,納得できる英語を学ぶ目的が示されていないということにありそうだと思っていた矢先,下記のような文章にであった.

『母語で得られる情報だけに頼るのは危険だ.外国語を学ぶ理由の一つはそこにあると思う.もし第二次世界大戦中に多くの日本人がアメリカの新聞と日本の新聞を読み比べていたら,戦争はもっと早く終わっていたのではないか.それはアメリカの新聞に書かれていることが正しいという意味ではない.書かれていることがあまりにも違うというだけで,自分の頭で考えるしかない,何でも疑ってかかれ,という意味が生まれてくる.そのことが大切なのだと思う.』(多和田葉子:言葉と歩く日記p.214)

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最近,テレビなどで若いタレントが,盛んに「全然良いですよ」とか「全然賛成です」なんて言い方をしいる.
これらを聞いいて,私も年寄りの一人として,「最近の若い者は日本語の使い方もろくに分からない.実に,困ったものだ」なんて,つぶやいていた.

ところが,先日,テレビのニュースショウで,結構年かさのコメンテーターが,「全然良いです」なんて言っているではないか.
これは断固許せないと思いつつ,辞書でチェックしてみた.

広辞苑:(下に否定の語を伴って)全く.まるで.例「全然わからない」
この説明だけが載っている.
そうだそうだ,私の違和感は正しい.

でも,試しに辞書も調べてみた.
大辞泉(電子版):(俗な言い方)非常に.とても.例「全然愉快だ」
エエー!

言葉は日々変化している,ということかな?

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朝日新聞(5月25日)で,東大の本郷和人氏の書評を読んだ.
興膳 宏氏の『杜甫のユーモアずっこけ孔子』の書評である.
この本で本物の学者が描く桃源郷を楽しもうとの主旨である.

ところで,学問という点で近頃私も感じていることを的確に表現した文章があったので,ここに引用しておきたい.
『近年,「英語を学べ」の大合唱のかげで,実益に直結しない漢文の習得は「はやらぬ学問」になってしまった.・・・・・・研究者はというと,以前に比べとても忙しい.大学経営の業務に追いまくられ,能力はあってもなかなか本物の学者になれない.大学は自助努力せよ,との社会の要求は正しいが,人生を豊かにする人文系の学問を,せちがらく実利で計算するやり方は,いかがなものか.私にはこうした風潮と,漢文学の等閑とが,軌を一にするように思える.』

同じような状況は,基礎科学の分野にも起こっている.
新自由主義的研究推進が声高に叫ばれている中で,地味な基礎研究を地味に進めることが難しくなっている.
小保方事件の背景にこんな状況が広く広がっているような気がしてならない.

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プロフィール
HN:
天野一男
性別:
男性
自己紹介:
☆茨城大学名誉教授
☆東京大学空間情報科学研究センター・客員研究員
☆日本大学文理学部自然科学研究所・上席研究員
☆一般社団法人日本地質学会理事,ジオパーク支援委員会・委員長, 
 技術者教育委員会・委員長
☆茨城県北ジオパーク推進協議会顧問
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